「電力」カテゴリーアーカイブ

東京電力黒部幹線

今回は帰省の途中に立ち寄った、東京電力黒部幹線について紹介します。

DSC_0025

黒部幹線は富山県の愛本変電所から長野県を経由して東京に向かう送電線路です。

途中長野から群馬に抜ける国道299号線の十石峠を越えていきますが、この場所では道路脇に黒部幹線の水平一回線鉄塔が二つ建っています。

DSC_0037

近づいてよく見ると、建設は昭和2年で実に80年以上も電線と人々の暮らしを支え続けていることになります。

DSC_0035

片方が甲でもう一方が乙の記号が与えられています。

長野県側の麓では、黒部幹線と安曇幹線一号が交差する部分もありました。どちらも長野の電源地帯と首都圏を結ぶという使命を帯びた送電線です。

DSC_0020

十石峠のある国道299号線は、道幅が大変狭く酷道としても有名です。訪問の際にはどうぞ安全運転で鉄塔に会いにいっていただきたいと思います。

東北電力南山形幹線建設レポート2

間があいてしまいましたが、南山形幹線の建設工事のレポート第2弾をお送りします。

前回訪問したのが7月26日だったので、各所で大きな変化が起きていました。まずは目的地となる西山形変電所から見ていくことにします。

7月時点では変電所の西側で重機が動いていて、林のほうへ向かう道を建設中でした。

DSC_0317

DSC_0321

9月26日現在、道の建設は完了したようです。また一段下の平場には正方形の区画ができていて、おそらく南山形幹線最終鉄塔がここに建つことでしょう。

DSC_0112

DSC_0113

西山形変電所から南に少し行ったところにある山形県道17号線沿いでは、いくつもの鉄塔が建設されている真っ最中であり、着手の早かったNo.44鉄塔は既に完成していました。直前に見たのが7月26日でしたが、あっという間に完成したようです。

DSC_0129

2015/06/14

DSC_0334

2015/07/05

DSC_0164

2015/09/26

完成したNo.44鉄塔から県道を県民の森方向へ移動した場所では、県道脇でNo.45鉄塔の建設がされていました。こちらは7月26日時点で基礎の工事がなされているのを記録していますが、足元が完成してからは速いようです。ちょうど腕金が接続される部分を水平に繋ぐ材を取り付けているところでした。

DSC_0652

2015/07/26

DSC_0126

2015/09/26

4辺を結ぶ山形鋼がまとめてクレーンで吊り上げられていきます。

DSC_0138

上部で待機していた作業員の方たちが、手際よくボルトを締めて固定を完了させていました。

DSC_0160

場所は変わって、起点の朝日幹線No.267鉄塔がある上山市です。ここでは南山形幹線No.1鉄塔が建設されている様子を確認することができました。後ろに見えているのは朝日幹線No.278鉄塔です。

DSC_0189

奥にはNo.267鉄塔が見えましたが、分岐に伴う工事や建て替えの準備などがなされいえる様子は遠方からでは確認できませんでした。いずれ大きな動きがあると予想されます。

No.1鉄塔の北側にある前川ダム堤体上からは、建設中のNo.1~3の鉄塔を一目で見渡すことができます。

DSC_0669

2015/07/26

DSC_0168

2015/09/26

面白いのは丘の上にあり下からは近づけないNo.2鉄塔の現場を、望遠レンズで捉えられるということです。9月26日時点は鉄塔の姿は確認できませんでしたが、見えてくるのも時間の問題でしょう。

DSC_0667

2015/07/26

DSC_0169

2015/09/26

No.3鉄塔の現場も部材が大量におかれていて、まもなく組み立てが始まりそうでした。

DSC_0664

2015/07/26

DSC_0176

2015/09/26

6月から追跡を始めた南山形幹線の工事ですが、鉄塔の姿がないところから3カ月半で完成した鉄塔も出てき始めたくらいの進捗スピードです。

これからも大きな見逃しが無いように定期的に見に行こうと考えています。

最後になりますが、南山形幹線が無事完成することを祈って締めの言葉といたします。

東北電力宮城変電所

今回は東北電力宮城変電所について紹介します。

DSC_0421

この変電所は2 75kV送電線が4系統、500kV送電線が2系統も集まる要所となっています。宮城県北の拠点となるこの変電所に接続される送電線について見ていくことにしましょう。

まずは変電所入口がある北側です。こちらには275kV宮城幹線・鳴瀬幹線・奥羽幹線が接続されています。変電所入口と送電線の入り口がほとんど同じなので、取付道路から迫力ある光景を見ることができます。

DSC_0426

 

275kV宮城幹線

DSC_0427

手前から275kV鳴瀬幹線、66kV荒雄線、275kV奥羽幹線

宮城幹線は仙台市泉区の仙台変電所、鳴瀬幹線は石巻市の石巻変電所、奥羽幹線は秋田県の羽後変電所をそれぞれ結んでいる重要な送電線です。

東側には66kVのローカル線が集約されています。一つだけ、東北電力池月発電所を結ぶ荒雄線が遮断器・開閉器をこちらに置きながら地下ケーブルで北側に向かい、鳴瀬幹線と奥羽幹線の間で顔を出しています。

DSC_0440

 

接続されているのは154kV大崎線、66kV高清水線、66kV古川線、66kV中新田線、66kV宮崎線。

そして南側には275kV陸羽幹線が接続されています。

DSC_0455

こちらは新庄変電所を結んでいて、山形幹線とともに山形県の内陸に電気を供給する役割を担っています。先の震災では、宮城変電所の被災によりこの陸羽幹線が使用できなくなったため、山形県内の停電復旧が遅れてしまいました。その対策が、前回紹介した南山形幹線です。

そして西側には500kVの北上幹線と青葉幹線が接続されています。

DSC_0468

竣工が21世紀に入ってからということで、引留めの鉄構以外は全て絶縁性のSF6(六弗化硫黄)ガスで満たされた気中配管で構成されています。このようにすることで、相間の距離を短縮できるためコンパクトに配置することができます。また構造上の弱点となる割れやすい碍子を使わなくなるので、地震に強いというメリットも有ります。

DSC_0483

しかし、僅か数十センチで500kV送電線と大地電位が接近しているわけですから、その間の電界の強さは大変なものだと想像されます。

東北の送電網の中枢である宮城変電所、いかがでしたでしょうか。

この変電所は周囲を楽に一周でき、フェンスより高い位置で構内を見ることが出来る場所が多いので、大変観察しやすいものとなっています。見学の際には虫や動物に気をつけてご鑑賞ください。

東北電力南山形幹線建設レポート1

今回は建設中の南山形幹線についての記事です。

DSC_0147

南山形幹線は山形県上山市を通過する朝日幹線No.267鉄塔から分岐し、山形市西部の西山形変電所を結ぶ500kV対応送電線です。

この送電線の建設理由は、東日本大震災にさかのぼります。津波で太平洋側の発電施設がやられてしまった東北電力では、新潟からの送電が一縷の希望となりました。しかし新潟からの電力を通せる275kV送電線は、山形中央部をスルーして一度宮城側の西仙台変電所に抜け、そこから北上し宮城変電所を経由して新庄変電所まで行かないと山形県中央部まで繋がりません。震災当日、山形県の送電設備の損傷は軽微でしたが、宮城県の宮城変電所の被害が大きく山形県側でも大規模停電が発生しました。主要な275kV送電線と変電所の配置を図に示します。オレンジ破線が南山形幹線です。

図2

この教訓を活かして、宮城県を経由せずに山形中央部に電力を供給する使命を帯びて建設されるのが南山形幹線です。これによって日本海側の275kV送電線が繋がり、秋田方面との融通もしやすくなります。

比較的仙台から近いということもあって、建設の様子を継続して見て行きたいと思います。

6月14日の西山形変電所の様子です。目立った工事は行われていませんでした。北側の部分に500kV対応山形幹線が接続されているので、南山形幹線もこちら側のスペースに接続されると考えられます。

DSC_0108

変電所の南側を走る山形県道17号線では、No.44鉄塔の建設が始まっていました。

DSC_0128

その一つ起点よりのNo.43鉄塔建設現場には取付道路が新しく敷設されていたのが印象的でした。またNo.42鉄塔へ資材を運搬する索道が設置され、有力な輸送手段が限られる送電鉄塔建設ならではの設備を見ることができました。

DSC_0123

 

場所はとんで南山形幹線の起点部分を見ていきます。左に見えるのが南山形幹線が分岐する朝日幹線N0.267鉄塔です。かなり手前から立ち入りが制限されています。遠目に見たところ、資材の搬入をしている段階のようです。どのように分岐していくのか楽しみですね。

DSC_0152

 

このすぐ近くでは、東北縦貫自動車道の建設も進んでいます。完成すれば山形県の南北の移動が大変楽になるこの高速道路、こちらの建設状況も気になるところです。

DSC_0148

東京電力新筑波変電所

今回は東京電力の変電所を扱います。

最初に紹介する新筑波変電所は、私が初めて意識した超高圧1次変電所です。実はまだ詳細に調査していないので、接続されている送電線路の紹介はわかっている部分に留めます。

DSC_0043

個人的に、この変電所の一番の目玉は新古河変電所へ向かう新筑波線の接続部分です。ご覧ください、この驚きの低さ!!

Exif_JPEG_PICTURE

Exif_JPEG_PICTURE

 

大変低い場所を通るので配電線は遠慮して地下に潜り、道行く人への電磁誘導を減らすためアース線が張られています。低い500kV送電線の真下では、電位の勾配がきつくなるためにビリっと来ることがあるそうですが、大地と同電位の線を高い位置に張ることでそれを防げます。

発電所の南側に行くと、消火用の水タンクなどがありますが木が高く生い茂っていて中を見ることができません。しかし離れた場所からは鉄構の規則的な美しさを眺めることができます。

DSC_0024

これを初めて見た中学生の私は、胸が高鳴ったのを覚えています。

木立に沿って東側へ行くと、500kV新佐原線の接続部が見えてきます。新佐原線の引留め鉄塔は堂々とした立ち姿で惚れ惚れしてしまいます。

DSC_0027

その奥には同じく500kVの福島東幹線が接続されています。こちらは南いわき開閉所から大子や茂木を通ってはるばる八千代町まで来ている送電線です。また回を改めて紹介したいと思います。

最後に変電所北側に接続されている154kV級送電線ですが、現在名前を調査していません。4回線という規模で接続されていますが、変電所を離れると2回線ごとに別れるようです。こちらも機会があれば名前を紹介したいと思います。

DSC_0034

【おまけ】

新筑波線のガス遮断器です。さすがに500kVとなると迫力がありますね。距離が近いのも良いです。

DSC_0009

このアングルだと、SFの世界に紛れ込んだような気がします。

DSC_0026

 

東北電力大堀発電所

今回は、大堀線の起点である東北電力大堀発電所を紹介します。

DSC_0255

この発電所は大正8(1919)年に運転を開始した歴史ある発電所ですが、仙台市によって建設されたという異色の経歴を持ちます。

実は仙台市が発電所に関わる背景には、水道事業があったのです。

それを紐解くために、仙台市の水道事業の黎明期から追っていきましょう。明治時代に仙台ではコレラが流行しました。これは飲用水の汚染が原因と考えられたため、仙台市はイギリス人W.K.バルトン氏に水道施設の設計を依頼し、明治26(1893)年に氏は実際に測量を行ったそうです。これにより、仙台は当時として先進的な水道システムを導入し、青葉区熊ヶ根の大倉川から取水して大正12(1924)年に市内への送水を開始しました。

先進的だったのは水道だけではありません。仙台市は早い段階で電気事業が有利であることを見抜いていました。そこで上水道の水路と川にできた落差を利用して発電所を作ることを計画したのです。そして電気事業を始めるにあたり仙台電力株式会社と、三居沢発電所を建設した宮城紡績電灯会社を買収し、明治45(1912)年に仙台市営電気事業を開始しました。

大正年代に入ると電気の需要が高まり、大倉川から仙台市青葉区にある中原浄水場へ引いた水を利用して、出力1,000kWの大堀発電所が建設されました。仙台市と電気事業の思わぬ関係が、この発電所にはあるのです。

その後昭和6(1931)年から昭和9(1934)年にかけて青下ダムが建設されたので、現在は青下川からも取水していると思われます。

DSC_1691

 

広瀬川の河岸段丘をうまく利用したこの発電所の上部には、仙台市水道局の中原浄水場があります。現地を見た限りでは、管轄が異なることもあり、水道局の貯水池と発電所の水路は繋がっていないようです。

貯水池の近くから広瀬川へ向きを変えた導水路は、浅い土被りの水路を通ってヘッドタンクに到達し、水圧鉄管へつながっています。

DSC_0261

 

DSC_0263

 

大堀発電所、いかがだったでしょうか?思わぬところに思わぬ関係があるのが、史料研究を合わせた発電所めぐりの楽しさです。

【蛇足】この発電所は私が仙台に来て初めて寄った発電所です。定義山に行こうとしていた私は、当時県道55号線が通行止めだったのに気付かずあえなくバリケードでUターンして浄水場へ寄り道しました。その時送電線が下に引き込まれているのに気づき、坂を降りた所この発電所を見つけたのです。今回はその時撮った写真を見返して記事を書いたので、とても懐かしい気分になりました。

東北電力大堀線

今日は仙台市青葉区内で完結する、コンパクトな66kV大堀線を紹介します。この大堀線は距離にするとたったの10km程なのですが、起点は大正8(1919)年運転開始の大堀発電所、終点は明治21(1888)年運転開始の三居沢発電所という、歴史の重みが感じられる送電線路です。

DSC_0001

起点の大堀発電所から見ていくことにしましょう。この発電所は珍しいことに、仙台市によって建設されています。

DSC_1691

なぜ仙台市が電気事業を行っていたのか? と疑問に思った方も多いでしょう。実は、仙台市の電気事業は水道事業と密接な関係があったのですが、これは回を改めてお話することにします。

大堀発電所を出た大堀線は一度河岸段丘を一段登り、中原浄水場の調整池の横に出てきます。そこで大倉線と袂を分かつと一路東へ向かっていきます。聖地・定義山に続く県道55号線と平行して進んでいくと、高野原地区の南を通過し国道457号線との交差があります。

DSC_1530

この区間の大堀線の送電鉄塔は間に垂直な部分を挟むという手法で嵩上げされていて、まるでロケットみたいなシルエットの鉄塔です。

DSC_1766

457号線と交差した後は進路を南東に変えて東北自動車道と北環状線を跨ぎ、ついでに仙台幹線と交差して葛岡霊園を横切ります。DSC_1360

この時仙台変電所からの66kV国見支線と合流し、2回線鉄塔となって三居沢発電所裏手の山から接続されます。

短い路線ながら、歴史あり・嵩上げ鉄塔あり・合流ありのなかなかおもしろい路線です。自転車でもたどれますので、気になった方は是非起点から終点まで追いかけてみてください。

東北電力蔵王幹線

今回は東北初の超高圧送電線である本名仙台線を前身とする275kV東北電力蔵王幹線について紹介します。

DSC_0254

蔵王幹線は米沢変電所を起点として西仙台変電所へ向かう送電線ロです。今回は米沢変電所から見ていくことにしましょう。

米沢変電所はその名の通り米沢盆地の南端にある東北電力の超高圧変電所です。275kV級では蔵王幹線を始めに東北幹線、飯豊幹線、吾妻幹線が接続されていて要所となっているほか、複数の66kV送電線も接続され米沢市街地に電力を供給しています。

DSC_0198

西側が超高圧セクション、中央に変圧器、東側が66kVセクションという構成になっていて、左右対称に張り巡らされた母線群が大変美しい変電所です。蔵王幹線は変電所の北側に接続され、1号鉄塔で向きを変えて一路北東に向かいます。

DSC_0182

高畠町に入ると、国道399号線鳩峰峠を国道と一緒に越えていきます。

DSC_0238

いくら最短距離を採るとはいえ、メンテナンスは必要ですからアクセスしやすいルートを選んだ結果だと思われます。

鳩峰峠を越えて宮城県に入った蔵王幹線は、そのまま北東へ進みます。そして稲子峠を越えて、滑津大滝付近で国道113号線七ヶ宿街道と交差します。

DSC_0273

その後宮城県道51号線に沿って進み、蔵王PA西側で北に転進。川崎町支倉台を過ぎて仙台市に入ったところで再度西に向きを変え、西仙台変電所へと向かいます。ここで面白いのが仙台幹線との位置関係で、北から来た仙台幹線がなぜか南側となって蔵王幹線とともに西仙台変電所へ向かっていくのです。下は北側から撮った写真ですが、手前が154kV秋柴線を併架した蔵王幹線で奥が仙台幹線になります。

DSC_0646

ここは現地に行ってみて、なにか合理的理由が見つかるか調査してみたいところです。

 

 

東北電力白岩発電所その2

 

今回は東北電力白岩発電所の設備を上流から見ていきます。

DSC_0039

取水堰は国道112号線と山形自動車道の立体交差の西側にすこし行った、寒河江川の本流に設けられています。意外と低い堰堤でしたが、近寄ることが出来なかったのが残念でした。この堰でせき止められた水は取水口から勢い良く水路に導かれ、その量は意外と多いものでした。

DSC_0038DSC_0037

取水口を見た後は、導水路に沿って下っていきます。発電所の導水路は川と平行して等高線に沿って建設されるので、等高線を横切る自然の川と必然的に交差することになります。白岩発電所では国道121号線宮内交差点の脇を流れる熊野川との交差が存在しており、水路の交差に興奮する性の私にとっては外せないポイントでした。

DSC_0034

現地に行ってみると、何の変哲もないパイプで川を渡っていました。しかし「明治時代にボルト止めパイプなんてあるわけない!!」ということで初期の構造物の痕跡を探した所、川の中に旧橋脚の基礎を発見。そしてパイプとの接続部分だけコンクリートでそれ以外は石積みという部分も確認できました。なので、昔は鉄桁の水路で川を渡っていたのではないかと思います。本格的な鉄筋コンクリートの利用は明治44(1911)年運転開始の石岡第一発電所まで待たなくてはなりませんので、橋脚の間隔や水路の幅からして鉄桁だったのだろうと推測しました。

DSC_0033

熊野川と交差した導水路は国道121号線を山側にアンダーパスしていきます。実はこの道を6回ほど通ったことがあるのですが、今まで導水路に気づいていなかったのは不覚でした。まだまだ修行がたりないようです。

DSC_0029

山側に移った導水路は、白岩の集落に入る前にトンネルへ変わります。そしてトンネルを3つ抜けた先が、なんと寒河江市立白岩小学校の敷地の中なのです!

DSC_0015

導水路が真ん中を横切る小学校とは、なんとも珍しく羨ましい立地です。校舎と体育館・プールの間に導水路があるため、全校集会や水泳の授業の度に導水路を渡るのです!この学校の生徒の何人かは、後年発電所マニアとなったことでしょう。え、ならない?

DSC_0021

小学校の中という特殊な立地に目が行きがちですが、水路構造物も「石張り」という年季を感じさせるものとなっています。

DSC_0013

小学校の敷地の端には発電所の上部構造物であるヘッドタンクと余水吐きがあります。そこからすぐに水圧鉄管に入り、水車を回して発電しています。

DSC_0014

この配置は100年以上変化していません。水圧鉄管の脇を登る階段も角が丸くなり、流れた時の長さを物語っています。

DSC_0009

発電所が先か小学校が先かは定かではありませんが、この白岩発電所は私達の産まれるより前から登下校する小学生たちの喜怒哀楽を見てきたのでしょう。人と発電所の距離がとても近い、見ていて穏やかな気持になるような発電所でした。

東北電力白岩発電所

今回はお隣の県である山形県の白岩発電所を紹介します。

DSC_0006

明治33(1900)年に開業したこの発電所は、県都山形市に初めて電灯を灯したという功績を持ちます。そして現存する山形最古の発電所ということで、100周年記念を迎えた平成12(2000)年に記念碑と立派な説明板が設置されました。最初に所有した会社から現東北電力への流れと、建設の際の逸話や水車と発電機の出力に加えメーカーまでも記した、非常に読み応えのある説明板です。私も一つの発電所についてこの説明板のようにまとめられたらなぁと思うようなクオリティでした。

DSC_0004

私も負けずに解説していきます。この発電所を建設した両羽電気紡績会社は、米沢出身の製糸家である塚田正一氏によって設立されました。もともと明治28(1985)年頃は水力発電を紡績に利用しようとしたらしいのですが、明治30(1887)年に両羽絹糸紡績会社を設立した直後の明治31(1888)年に、電気供給事業を主軸とする両羽電気紡績会社に改称しました。ちなみに、結局紡績事業は行わなかった模様です。その後明治39(1906)年に山形電気株式会社と再び改称し、日発・東北配電に統合されるまで山形を代表する電気会社でした。

一方発電所は再びの会社名変更と時を同じくして、需要の増大に伴い開業時の米マコーミック社製210馬力水車・米ゼネラルエレクトリック社製150kW発電機を、独フォイト社製875馬力水車・東京芝浦製作所製500kW発電機に取り替えました。

明治からの発電所建屋は昭和22(1947)年の事故により残念ながら焼失したそうです。しかしながら他の構造物には開業当時の面影が色濃く残っていました。次回は発電所の取水部までさかのぼっていきます。

DSC_2958

建設当時の白岩発電所。東北地方電気事業史p.168から。