常磐線ルート移設区間 (新地ー駒ヶ嶺)

 ルート移設区間のもっとも南側となる、新地と駒ヶ嶺の区間を紹介いたします。

新地-駒ヶ嶺間の地図。地理院地図より転載。

 新地駅を出た列車は、すぐに陸橋をくぐります。その後、架け直された橋を渡って、徐々に旧ルートへ近づいていきます。
地点Aで現在線と旧線が交わり、明治の開業以来のルートへ復帰します。

図A-1 地点Aから仙台方を見る。新地駅の上野方を横切る跨線橋はまだ完成していない。2015.11
図A-2 新旧ルートの合流地点。右側の建物がき電区分所である。2015.11
図A-3 A-1と同じ場所から見た写真。軌道の工事は完了していた。跨線橋も姿を見せている。2016.04
図A-4 A-2と同じ合流地点を望む。き電区部所からのケーブルが引き出され、架線と接続する工事がされていた。2016.04

 合流地点には、変電所間の区切りとなるき電区分所がもうけられています。こちらも、設備を大きく交換して真新しい外観となっていました。

 ここから先の区間においては目立つような土木工事はありませんでしたが、地震の被害を受けたまま手入れされずに放置された既存設備を復旧させる工事は行われていました。特に地点Bにある富倉踏切では、放置された設備が生まれ変わり、再び列車が通過するまでを記録しています。

図B-1 富倉踏切から仙台方を見る。地震のダメージを受けても放置された設備は、見ていて痛々しかった。2013.04
図B-2 B-1と同じ視点から。架線柱や路盤の信号線は一度すべて撤去され、路盤の再整備から工事が始まった。2015.02
図B-3 地点B-2から上野方を望む。信号機へは灯がはいっていない。2015.02
図B-4 再整備された路盤を堺に枕木が新しくなっている。架線柱も新たに建て直された。2015.11
図B-5 生まれ変わった地点Bの区間。踏切の障害物検知装置まで更新され、架線柱も立派なバランサがついている。2016.11
 図B-6 信号機に再び灯が入った。点灯している姿を見た時は感動したのを覚えている。

 一度手入れが止まってしまった設備は、もう一度基礎から作り直さないといけないということがよくわかります。特に、直線区間では、バラストトをすべて撤去して、路盤から補強をし直していました。架線柱も地震の揺れで破損があったことから、全て更新されています。
 この踏切の脇にある上下の第一閉塞信号機に灯が点っている姿を見たときには、とても感慨深い気分になりました。

 地点Cでは、国道6号と交差する地点の付近で、溜池すぐ脇の築堤が変形している箇所がありました。ここも、斜面を補強することで復活しています。

図C-1 地点Cにある溜池すぐ脇の築堤。地震の揺れか放置が原因か定かではないが、土が流出していた。2015.2
図C-2 上で交差しているのが国道6号線。その奥のレールが歪んでいる。2015.02
図C-3 築堤が補強され、架線柱も建て直された区間を営業列車が通過する。2016.12
図C-4 C-2と同じ視点から。架線を支えるブラケットが、更新されていることを確認できる。2016.12

 また、記録はできていなかったのですが、一箇所川を渡る橋を架けかえた箇所があります。新しい区間を走る営業列車に乗った時に気づきました。

 駒ヶ嶺駅の移設はありませんでしたが、震災以降2016年まで列車が走らなかったので、荒れるがままにされていました。特に、駅構内の砂利へ自由に成長した松は、電車が来なくなってからの時間を表しているかのようでした。
 2016年12月に訪れてみると、再開を祝う横断幕が駅に掲げられていて、それが誇らしげでした。

駒ヶ嶺駅に掲げられた横断幕が誇らしげだ。2016.12

 今回をもって、常磐線のルート移設区間を紹介する連載記事は終了です。いよいよ全線再開となる3月14日を迎えるにあたり、自分だけが持っていた常磐線の記録に、日の目を見る機会を与えることができました。
 本来ならば2017年中に公開したいと思っていたのですが、締切のない作業ほど完成しないものはなく、まとめるまで4年以上もかかってしまいました。しかし、全線開通の日を節目として皆様の目に触れていただける形にできたことを、大変喜ばしく思います。

 全線開通した常磐線が、浜通り再興の礎として活躍することを願って、結びの言葉とします。

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