常磐線 ルート移設区間(浜吉田ー山下)

 2020年3月14日、東日本大震災で被害を受けた常磐線が全線開通する歴史的な瞬間を迎えます。この良き日を迎えるにあたり、2016年に再開した常磐線の工事について記事を書きたいという思いが、私のなかに強くありました。そこで、一区間ごとに紹介するという形で記録を残していきたいと思います。

 3月11日の震災直後は仙台 – 亘理間だけの運行再開だった常磐線も、その1年後には浜吉田駅まで再開区間を伸ばしました。しかし、そこから南の山下駅から新地駅にかけては津波の影響で路盤が流出し、特に新地駅では停車中の列車が直撃を受けて大破するという被害を受けていました。そのため、この区間は山側に線路を移設しての復旧が決定され、2016年12月に運行を再開することになります。これにより、一足先に走り始めていた相馬 – 原ノ町間と合わせて、仙台から浜通り南部の小高駅まで電車で行くことが可能になりました。
 その工事はちょうど私が仙台で生活をしていた時期に重なっていて、度々沿線に出かけては工事の各段階を撮影していました。これまで忙しさにかまけて記録の整理を怠っていましたが、節目の年として眠っていた写真を今一度まとめて紹介したいと思います。

 浜吉田駅から新旧山下駅にかけての地図を置きました。地点のアルファベットが、下記に示す写真の頭文字と一致しています。

浜吉田 – 山下間の地図。地理院地図から転載。

浜吉田駅は、仙台からおよそ30kmの位置にある駅です。この駅の南側から、現在線は海から離れるようにカーブを描いて高架を進みます。地点Aが、旧線との分岐点です。

図A-1 右に逸れていくのが現在線。旧線は黒い乗用車の左側の空間を走っていた。2015.7
図A-2 図A-1と同じ地点で撮影。2016.11
図A-3 開業後に地点Aを通過する列車。2016.12
図A-4 図A-1と位置から浜吉田駅方を望む。右の空間が旧線で、まさに分岐点を撮影している。2015.7
図A-5 新旧ルートの分岐点を通過する701系電車。2016.12

 地点Bには、現在線の踏切があります。ここは旧ルートにも踏切ありましたが、現在線は高架に向けた上りの途中に設定されているため、道路と交差する位置が高くなっています。

図B-1 現在線に設置された踏切。画面奥が山下駅で、上り勾配になっているのがわかる。2015.11
図B-2 完成した現在線の踏切。この日は試運転列車が走行していた。2016.11
図B-3 旧線との踏切跡。すでに線路は取り除かれているが、縁石が名残を残す。2015.11
図B-4 旧線から現在線の踏切を望む。踏切に向けて道路が一段高くなっているのがわかる。
2016.11

 そのまま線路は一直線に高架を進んでいき、内陸へ入っていきます。田んぼを斜めに突っ切って、山元いちご農園付近でカーブを描いて真南を向きます。この地点Cでは、道路と水路をまとめて跨ぐ橋が架けられていますが、この橋の鋼材部分は苺をイメージしたピンク色です。

図C-1 建設途中の橋。迂回路への矢印と、そこを進む自動車が写る。2015.7
図C-2 橋は完成し、架線の工事に映った段階。いちご農園の看板と橋のピンクのコラボ。2015.11
図C-3 営業列車が橋を駆け抜ける。いちご農園の宣伝も心なしか賑やかだ。2016.12

 建設途中から記録していたこの橋を営業列車が走る姿を見たときは、思わずシャッターを押す指に力が入りました。

 進路を南に戻した常磐線は、移設された山下駅へと向かいます。上下線どちらからも進入と出発ができる構造となっていて、定期列車でも山下止まりの列車が設定されています。駅前にはスーパーマーケットが出店していて、新たな生活の中心となる予感を与えていました。

営業を間近に控えた山下駅。2016.11
乗客を迎え入れる準備は万端だ。2016.11
現在線の山下駅至近の交差点に掲げられていた、旧山下駅を示す看板。ちなみに、現山下駅はこの交差点を直進したところにある。2016.11

 この山下駅は、将来の貨物列車通過に備えて有効長を伸ばす準備工事がされています。残念ながら現時点では貨物列車についてのアナウンスはありませんが、ぜひとも運行を再開してほしいですね。

 今回は浜吉田 – 山下間を取り上げました。次回は坂元駅までの区間を紹介します。

細倉金属鉱業 川口第一発電所

 今回は宮城県栗原市にある、企業の私有発電所を紹介いたします。

 この川口第一発電所は、細倉鉱山の坑内用機械や精錬設備を動かすためにつくられたものです。私企業が使うため、一般家庭が使用する送電線とは繋がっていません。専用の送電線を利用して、直接細倉鉱山へ電気を届けています。

モダンな書体の銘板が掲げられている。

 さて、発電所の設備について見ていきましょう。水力発電所データベースによれば、花山ダムから取水して、落差を作ってから別の場所で発電するダム水路式の発電所です。途中に一か所だけ、谷をまたぐ水路橋が確認できます。GoogleMapでも確認することができますが、鉄管をコンクリートの台座で支えるタイプです。

 そして、花山ダムから1kmほど離れた場所に落差を作って発電をしています。水圧鉄管は一本で、建屋の直前で道路をくぐる構造になっています。
 周囲は段丘崖の下に作られた集落で、家並みの中で唐突に水圧鉄管が現れる感じでした。

迫川(はさまがわ)の段丘崖を駆け下る水圧鉄管。子供向けの注意看板も見える。

 発電所建屋は運転開始当初からのもののようで、一種の風格すらあります。ところどころの窓や入り口部分だけ近代化されているのが面白いですね。

換気口やシャッターが近代化されているが、鉄格子などの古めかしい部分も目立つ。

 発電所の放水路側には、変電・送電設備があります。5年前は、この部分の電柱が木で出来ていて、非常に驚きました。しかし、今年行ってみると、コンクリートに建て替えられていて残念でした。しかし、安定した電気の供給のためには必要なので、ノスタルジーに浸っているわけにもいきません。

鉄構は古いが、右の鉄柱は亜鉛メッキがまぶしい。
2014年当時は木製だった。
こちらも2014年当時の写真。迫川の対岸から発電所を望む。
木柱には所有者と送電線の名前が書かれたプレートが取り付けてあった。

 この送電線が向かう先は、細倉鉱山の事業所です。ここは明治時代から錫と鉛の一大鉱山として発展してきました。昭和の半ばに閉山した後は、鉛の精錬設備を活かして鉛バッテリーのリサイクルを行っています。

山を越えて鉱山へと向かう木柱の群れ。
川口送電線の終着点である細倉金属鉱業の敷地。今も多くの施設が稼働している

 小さな落差の小さい発電所ですが、決して小さくない電力を鉱山に送り続けているこの川口第一発電所。これからも末永く稼働してもらいたいです。

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。
こぼしです。

 いよいよ21世紀も20年目となりました。皆様はお変わりなくお過ごしでしょうか。
 昨年は「毎月ブログを更新する」ことを目標にして、その目標を達成することができました。

 今年2020年も趣味に邁進し、情報を発信していきたいと思います。それでは本年もよろしくお願い申し上げます。