蒼穹のファフナーを語りたい

 アニメ作品「蒼穹のファフナー BEYOND」の上映に伴い、現在YouTubeでは公式アカウントにて過去のシリーズ作品が期間限定で公開されています。ぜひ皆さんに触れてほしいと思い、この作品について語りました。ネタバレを含みますが、今までファフナーに触れて来なかった方に、少しでも魅力が届くように心掛けました。いつものブログと文体が異なっているのは、ご容赦ください。

 私がもっとも好きなアニメがある。それは「蒼穹のファフナー」シリーズだ。最初のTV版が放映されたのは2003年で、私はまだ小学生だった。しかし、当時はこの作品を見ていなかったし、存在も知らなかった。TV版直後の特別編を挟んで、その次の作品は2010年に上映された劇場版「HEAVEN and EARTH」だ。この時私は高校生だったが、わずかにファフナーの名前を聞いた記憶がある。それでも、作品を見たり追いかけたりしようとはしなかった。

 私がようやく蒼穹のファフナーを見たのは、大学生も3年目になってからのことだ。きっかけは、書店で新装版を見つけたとあるSF小説である。その小説の作者こそ、ファフナーの脚本を担当している冲方丁氏であった。読後感に浸ってページを所在なくめくっていた私は、何気なく巻末の著者略歴に目を止めた。そこには、蒼穹のファフナーの脚本担当という文字列があった。初めてこの作品を見てみようという思いが、私の中に生まれた瞬間だった。
 当時夏季休暇中だった私は、早速近所にあるレンタルビデオ店に向かい、一掴みのDVDを借りてきた。そして、すぐにこの作品の虜になった。その日を境にして、私の人生はファフナーから多大な影響を受け続けている。

 私がこの作品に惹かれる最も魅力的な要素として、「人間讃歌」と「相互理解」の2つがあると考えている。

 最初に「人間賛歌」について詳しく述べる。劇中では、たとえ誰かがいなくなったとしても(あえて「死んだ」とは表現しない)、その存在が与えた影響・結果はこの世に残り、そして次世代へと受け継がれていく。一人の人間が生きた証が、その想いが、形を変えながらずっと作品の中へ残るのだ。「何を当たり前のことを言っているんだ」と思う人もいるだろう。しかし、ファフナーのここが素晴らしい部分であるのだが、いなくなった人間に対する周囲の感情描写が細やかで、確かにその人が「ここにいた」ことを実に強く印象づけてくるのだ。そして、それでも残された我々は前を向いて行かなければいけないと、いなくなった人の存在を忘れずに希望を信じて今を生きる人の心が切に感じられる。つまり、劇中の人生を終えて「もういない」人たちの存在が、しっかりと「ここにいる」人たちに受け継がれているという描写に、しっかり尺を割いているのだ。
 「あなたの人生は無駄ではない」「あなたの生きた証はずっとここにある」と伝えられているようで、私はここにファフナーという物語の救いががあると思っている。自分がいなくなったとしても、忘れずにずっと覚えていてくれる人がいることのなんという救いか。ファフナーでは「ここにいる」ときに周囲の存在に与えた影響が、すべて肯定されるのだ。ここでいう「肯定」に、影響の善悪という概念は入っていない。ただ「生前になし得たこと」が周りへの影響となって、世界に残るのだ。
 これは、人の行動・感情すべてをここにあるものとし賛美する、「人間賛歌」に他ならないと考えている。

 次のテーマである「相互理解」に移ろう。ファフナー世界では、ロボットに乗って敵と戦うのだが、敵は人間の心を読む能力があるので、複数人で感覚や意識、感情まですべてシステムで共有する必要がある。これにより、個々の心を守るのだ。つまり、ロボット搭乗者とシステム搭乗者は、痛みや不安や衝動すべてを共有することになる。しかし、共有するだけでは「分かり合えない」とこの作品は主張する。それが端的に現れるのがメインキャラ二人の関係だ。
 主人公である真壁一騎と皆城総士の二人は、幼馴染なのだが過去のとある事件によりぎこちない関係となっている。物語開始時点で、一騎は大切な友人である総士を傷つけたのに、謝罪をできなかったという負い目から「自分なんかいなくなればいい」と思いながら生きていた。しかし、総士はその事件を通して自己を確立することができたので、実は 一騎 に感謝していたのだ。このように相手に対する本当の想いを持っていながら、その気持ちを互いに十分な言葉にしなかったことで、ファフナーに乗った瞬間から二人の間の溝は更に広がり始める。すべての感情をシステムで共有しているから、相手が自分の気持ちをわかってくれるはずと考えてしまったのだ。結果として、二人とも相手のことを一番大切に想っているのに、戦いを重ねるたびにその心は遠く離れてしまう。これを取り戻すのは、相手が置かれた状況や感情を理解し、それを踏まえて「もう一度話がしたい」と言葉にして互いに伝え合うことが大切だと気づいてからだった。
 身近な人や大切な人ほど、遠慮や甘えがあって本音を伝える場面が少なくなり、大きなすれ違いを生んでしまうのは起こりがち悲劇である。しかし、お互いを理解し自分の気持ちを伝えあうことで、悲しみや痛みを減らすことができる、そう信じられる世界があるはずだというメッセージをこの作品は投げかけてくれるのである。

 以上、2つに絞って私が蒼穹のファフナーを愛する理由を書いてきた。ここまで読んでくれたあなたに感謝の意を伝えたい。もし、この文章が「蒼穹のファフナー」という作品に触れるきっかけをあなたにもたらしたのならば、私の存在が作品を通してあなたに「祝福」を与えたことになる。一人のファンとして、これ以上の幸せはない。