常磐線全線運行再開に寄せて

 去る3月14日、常磐線が東日本大震災での被害を受けて不通になってから、9年ぶりに全線での運行を再開しました。同時に、東京の都心と仙台を直通する特急列車が復活し、この日を象徴する列車として注目を集めました。震災前は「スーパーひたち」として走っていましたが、特急列車体系の見直しに伴って名称が「ひたち」と改められ、使用される車両も新世代のE657系電車となっています。

 この復活の日を迎えるにあたり、私はルートを変更して再開した区間の工事記録をこのブログでまとめてきました。特に、坂元駅の山下駅側へ行った先の高架橋は、ゆるくカーブしながら高度を下げていく線形となっているので、長編成列車が走ったときには非常に映えるだろうと期待した場所でした。
 そこで、直通一番列車はその区間で撮ろうと思い、じっくりと計画を練りました。

今回は図中の地点Cで撮影した。

 金曜日に仕事を終えて家に帰った私は、すぐに着替えを詰め込んで仙台へ向かう準備をしました。特に、道中の休憩に使う寝袋は先週末に広げて乾かし、快適な眠り心地の追及に抜かりはありませんでした。
 ゆっくりとエンジンを暖気してから出発し、日付が変わって西那須野インターから東北道へ乗った私は、深夜の高速道路をマイペースで走行します。須賀川で降りてから道の駅安達まで走って、午前2時から5時まで仮眠を取ることにしました。
 
 3月中旬とはいえども深夜の気温は氷点下に迫り、吹きさらしのクルマの中では室温がどんどん下がって行きます。しかし、持ち込んだ寝袋にくるまることで、しばしの安息を得ることができました。
 東の空が僅かに明るくなる時間帯に起き出した私は、R4バイパスを北上して福島市街に入りました。そこからR115と福島相馬道路の無料開放区間を利用して、浜通りへ一気に抜けました。

 一番列車の通過は早くとも10時半以降ですが、これほどまで早く出た理由は場所取りのためだけではありません。この日の天気予報では那須塩原や郡山に日中から雪の予報が出ており、その時間帯を避けるためにも早い時間に移動したのでした。

 6時過ぎには坂元駅前のローソンに到着し、朝ごはんを調達して撮影場所へと向かいました。現地に到着した私が一番乗りだったようで、周りに人はいませんでした。どうやら気合を入れすぎたようです。
 そこから数本普通列車を撮ってウォームアップを行い、ピント合わせの感覚や狙った構図が取れているのかの確認が取れたので、また寝袋にくるまって仮眠を取りました。

 10時少し前に起き出してみると、朝に比べて雲が厚くなっており、明るさは早朝と変わりませんでした。相変わらず一人だけでしたが、通過20分前に地元の方が一人いらっしゃって、挨拶と少しの雑談を交わして互いに準備に入りました。

 通過予定時刻は相馬駅到着の10分前を見込んでいました。その予想通り、10時40分頃にトンネルへ入る特急列車の警笛が聞こえてきます。数瞬の後、カーブしているトンネルの内壁が明るくなり、第一・第二トンネルの間の明かり区間へ顔を覗かせました。 

品川行の一番列車が、トンネルの間から顔をのぞかせた瞬間。

 私はその瞬間を狙ってシャッターを切り、次にピントをトンネル出口の架線柱に合わせます。
 そして、数秒後には第一トンネルから特急列車が飛び出してきました。出口と高架橋の間にあるわずかな築堤区間に顔が入った瞬間、再びシャッターを切りました。

戸花山トンネルから飛び出した「ひたち」。

 そして一気にズームを引き、戸花川を渡る橋直前まで引っ張って編成の長さを強調した構図を取り、この画角の撮影を終えました。

さすが10両編成だけあって、疾走感のある写真が撮れた。トンネル出口に勾配の変化点があることがよくわかる。

 話は変わりますが、私は仙台にいたときに鉄道研究会に所属していました。今回の仙台から都心まで直通する列車の再開にあたり、続々とOBが集まって「ひたち」にはかなりの友人が乗車していました。その中の一人が海側の座席を獲得し号車も特定できていたことから、しばしカメラを降ろして手を振ることにしました。
 一瞬ですが、窓から手を振り返してくれる人の存在を認めることができました。
 後ほど送られてきた写真がこちらです。手を降る私の姿が写っています。彼は私がカメラを構えているものと予想していたところ、私が手を振っていたので思わず振り返したそうで、手ブレの原因はそれだったようです。

右手を振っているのが私。友人撮影。

 さて、手を振り終わった私がそのまま見送っている訳もなく、坂元駅へ高架橋を駆け上がる姿にピントをあわせます。これは、下り列車の予行演習としての意味合いもありました。私がこの区間で撮影した最長編成が6両だったので、10両編成の特急がどのように写るか経験がなかったからです。

上り品川行の後ろ姿。左下のビニールハウスは構図から外せたかもしれない。

 撮影してみると、意外と編成が短く感じました。これで、次の下り一番列車の撮影に向けた準備が整いました。

 この日、下り特急は途中いわきで約8分の遅れを持って運行していました。そして、その遅れのまま相馬を出発し、坂元へも通過予定時刻から10分遅れて姿を現しました。

 撮影場所で待っていると、遠くから薄紅色の車体が切り通しを抜ける姿が現れ、そこから遅れて坂元を駅を通過する警笛が聞こえてきます。そして、徐々に走行音を大きくしながら、カーブに差し掛かりました。予め構えていた場所で1枚と、すこし引いて正面がちに捉えたところで1枚撮影しました。そこから通過する列車に手を振って、上り列車に乗車している友人に確認してもらえるか試しました。

下り1番列車を捉える。この時間には雨が本降りになり、かなり暗くなっていた。

 その友人の席は山側でしたが、私の撮影ポイントに合わせてデッキまで移動していてくれたそうです。残念ながら彼の姿を認めることができなかったのですが、彼は私のことをはっきり確認できていたそうです。

 再開前からずっと「ここで特急列車を撮りたい」と考えていた場所で、上下の直通「ひたち」を撮影することができて、大変感慨深い日となりました。もともと2011年には常磐線特急をいわきで分離して、直通特急を廃止することが決定しました。その直後に東日本大震災が発生し、常磐線自体が南北に分断されることとなってしまいました。
 しかし、今回の直通列車再開は、浜通りと首都圏・仙台を直接結ぶことで、鉄路のつながりと人のつながりの復活を印象づける結果となりました。
 ここまで常磐線の復活に尽力された皆様と、全線再開を信じて待ち続けた地域の方々に心からの祝福を送りたいと思います。
 本当に、おめでとうございます!

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