「電力」カテゴリーアーカイブ

九州電力黒崎発電所

 関東は、かなり冷え込みが厳しくなってきました。こんな日は、南国の暖かな日差しに思いを馳せることになります。

 というわけで、今回は南国・宮崎にある九州電力の黒北発電所をご紹介しましょう。

 黒北発電所は明治40(1907)年に日向水力電気によって建設され、九州電力管内の現役の発電所のなかでは最古のものです。訪問した2015年当時は、明治39(1906)年製の水車と200kW発電機が使われていたようです。100年以上前に作られた回転機械が現役とは、保守に携わって来られた方々に敬意を表します。

 この発電所でもっとも特徴的なのは、建屋が石造りという点です。この地域では石材業が盛んで、当時の石材加工技術は建屋だけでなく水路の建設にも発揮されているそうです。

よく見ると、石材の表面も念入りに加工されている。

 地元の方々にとってこの発電所は大きな期待と喜びを以て迎えられたようで、顕彰碑や記念碑がいくつも建立されています。また九州電力の案内看板も力が入っており、この発電所が多くの方から愛されているのだなと感じました。

題は「利用天物」で、天から与えられたポテンシャルエネルギーを人のため役立てるという意味だろうか。

 また、建屋の脇にある配電線の変圧器が非常に古そうで興味深かったです。内部の油を冷やすためのパイプが幾つも縦に走っており、ある種の美しさすら感じました。

 宮崎市中心部から南西にある清武集落に小さく鎮座している発電所ですが、九州の文明開化を告げたその姿は矍鑠として現役を貫いていました。

おまけ:黒崎発電所のすぐ近くにあるバス停の名前が、そのものズバリ「発電所入口」で、思わず記録してしまいました。

一般名詞で通ってしまうくらい有名なのだろう。

下山発電所美術館

 前回は関電トロリーバスの記事を書きましたが、この日は長野県だけでは終わりませんでした。

 大町から北に向かい糸魚川へ抜けた私は、そのまま天険・親不知を越えて富山県の入善町へシビックを走らせました。
 目的地は下山(にぜやま)発電所美術館です。「発電所で美術館?いったいどっちなんだ…」と思う人もいるかもしれませんが、美術館なのでご安心ください。

下山発電所美術館の外観。一段下がっているところは、放水路を改装したのだろう。

 正確には、大正時代に建設された水力発電所を北陸電力が入善町へ譲渡し、現代美術館へ改装した施設です。

 クルマを降りて門に向かうと、右側に水車が並んでお出迎えしてくれます。この形はフランシス水車ですね。この段階でとんでもない施設だなという雰囲気を醸し出しています。

門松の一種だろうか。

 この美術館は、3基の水車と発電機が並んでいた建屋の内部を改装して展示スペースにしてあります。3基のうち入り口から最も奥にあった設備はそのまま残されていて、芸術作品だけでなく発電所設備も鑑賞することができます。

館内は広々とした空間が広がっている。これらすべてが展示スペースだ。

 通常は館内撮影禁止なのですが、今回は特別に作品制作者の意向でカメラを使うことができました。その厚意に甘えて、美術館内部を隅々まで撮影しました。

 この発電所美術館が素晴らしいのは、「水力発電所」という特殊な用途のために作られた建物を、最大限利用して展示の空間として利用している部分です。
 特に、水圧鉄管の開口部をそのままにして、奥にスクリーンを設置し映像作品を鑑賞できる場所にしている箇所は、自由な発想で活用しているんだなと感銘を受けました。

手前のお面が展示物なのだが、設置場所はむき出しにされた水圧鉄管の内部である。

 発電所内部の機器は大部分が撤去されていますが、1基の水車と発電機は保存されており、こちらにもしっかりした解説がついていて楽しむことができます。

1基だけ残された水車。外形は軸方向に長く、珍しい。

 この下山発電所は段丘崖の小さい落差を利用しているため、出力を上げようとすると流量を増やす必要があります。そこで、より大きな回転力を取り出すために、横軸フランシス水車を背中合わせにした「横軸二輪単流前口双子式フランシス水車」を採用していました。そのため、水車のケーシングが前後に長い独特な形状となっているのです。

関西電力旧八百津発電所の放水路にも、同じ形式の水車が設置されていた。
独・ホイト社で1925年に作られたそうだ。

 また、2階の奥は休憩スペースとなっているのですが、なんと系統連系用の機器が並ぶ中央に椅子があり、丁寧に解説も付属しているという充実ぶりでした。

落ち着きのある空間に思える。しかし、一部の人にとっては大興奮間違いなしだ。

 この美術館で最も衝撃を受けたのは、駐車場へあたかも当然のようにフランシス水車が鎮座していたことです。確かに駐「車」場ですから、水車があっても問題はないのでしょう。しっかり枠線の中に「駐車」されていて、腕も確かなようでした。

日本全国を探しても、フランシス水車と並べて駐車できる場所は少ないだろう。

 自分とは全く違う視点で発電所を捉えた施設に入ったことで、これまでにない満足感と楽しさを覚えながら美術館をあとにしました。

養老渓谷・鋸山訪問

 

お久しぶりです。

もう11月も終りとなりますが、みなさまはいかがお過ごしでしょうか。

私は三連休の初日に房総半島へ行ってきました。

最大の目的は洲崎灯台だったのですが、欲張って養老渓谷と鋸山も訪ねました。

朝9時近くになって紅葉目当ての養老渓谷につきましたが、三連休で親子向けのイベントが開催されており、クルマを止めることができません。仕方なくその先の観光センターに向かったところ、ちょうど紅葉谷という場所があったのでそこを目指してシビックを走らせました。

一部の樹だけが色づいていたものの、朝日に照らされた紅葉を撮ることができました。

朝早くに行くと混雑は避けられますが、光線状態として厳しい場合がありますね。11月初旬にも早朝の鳴子峡へ言ったのですが、カメラには厳しい条件でした。

その後は千葉県道81号線を走って最短で鴨川に抜けました。

房総半島はちょっとでも海岸線から離れると、山道になって運転が難しい道ばかりになる印象です。かなり幅が狭く、離合困難な道が何キロも続いていました。

国道128号線をしばらく走って道の駅和田浦で小休止をしたところ、すぐ隣の内房線和田浦駅に電鉄用変電所がありました。鉄塔が白く塗られていて、房総の青空によく映えています。ちゃんと電力要素は忘れてませんよ。

その後は国道410号線へ進路を取り、野島崎を回って相浜海水浴場にほど近い相浜亭でお昼をとりました。

さて、ウツボといえば「海のギャング」と恐れられる獰猛な生物ですが、メニュー曰く「今が旬!」らしくウツボ丼としてオススメされていました。大きな天ぷらとなって目の前に出てきたその身は淡白な味でしたが、皮との間にかなりの脂が乗っていてボリュームたっぷりでした。お吸い物もウツボのつみれ汁で、こちらもプリプリの歯ごたえと大柄なサイズの団子で、大満足の食事となりました。

お腹を満たした後は、本日の到達目標である洲崎灯台に向かいました

9月の初めに行った犬吠埼灯台と比較すると、ずっと小さく敷地も狭いものでした。あまつさえ端には家庭菜園(!)があり、引きの構図を取ることが困難で、ファインダーへ収めるのに苦労しました。

ひと段落して東京湾を行き交う巨大なタンカーやLNG船を眺めつつ眼下の洲崎漁港に目を向けたところ、沖合に使われていなさそうなコンクリート構造物をみつけてしまいました。

いわくありげだなと思っていたのですが、帰ってから太平洋戦争時の兵器である「震洋」の基地ではないかと知人から指摘がありました。

灯台をあとにした私は北上を続け、鋸山へは南側から有料道路を使って登りました。

鋸山登山道には強烈な上り勾配とコンクリートを吹き付けただけのトンネルがあって、なかなか刺激的な道でした。頂上付近では太平洋を一望できるスペースもあり、ところどころに植えられた南国風味のソテツも相まって異国のような雰囲気がありました。

クルマを降りてロープウェイ乗り場の方へ向かい、山頂から東京湾側を望みました。ちょうど久里浜と金谷浜を結ぶ東京湾フェリーが到着するところで、防波堤の中に入ってから転回し着眼するまでをずっとカメラで追っていると、仙台港の太平洋フェリーを思い出します。

その後はロープウェイが昇り降りする光景を撮影したりと、乗り物ばかり撮っていました。

有名な地獄のぞきですが、1時間ほど並びそうだったので諦めて大仏のところまで下りました。ところで、鋸山はとても脆い凝灰岩でできています。歩きながら崖に手をつくと、砂となって手についてくるほどの削られやすさです。なので、せっかく崖に彫った大仏像も長年の風雨によって形が崩壊し、近年大規模に手を加えた結果が今の姿なのだと解説にありました。

その後は東京湾アクアラインを通って帰路につきましたが、木更津料金所を通過する前から渋滞しており、登山で酷使した脚をさらにクラッチ操作で消耗しないように、のんびり一定の速度で走りました。

ゆっくり走ったおかげで、君津にある新日鐵住金の高炉群を見る余裕があったのは怪我の功名と言えるかもしれません。

海ほたるの時点で西の空は残照があるだけとなり、川崎で再び地上に出たときには、もう闇の中でした。最近は本当に日が暮れるが早いですね。

東京で友人と別れたあとは、アクアラインとは比べ物にならないくらいスムーズな常磐道で帰路につきました。

すべてが初めて訪ねた場所だったので、自らの知見が大きく広がったような気がする房総半島の小旅行でした。

 

500kV東京電力新茂木線

皆さんこんにちは。

4月になり、環境が大きく変わった方が増える季節となりましたが、かくいう私も気まま部分の多かった学生生活に終わりを告げ、杜の都を離れて社会人としての生活を始めました。

慣れない環境での5日間の後実家に戻り、自家用車を転がし桜前線の追っかけをした土曜日の帰りに、とても面白い天候と出会いました。

南と東の空は雨雲の暗くて厚い雲に覆われているのですが、日が沈む西の空の地平線だけ雲が切れていたのです。

 

「これは劇的な画が撮れるぞ」という予感がした私は、ちょうど国道4号線上阿久津バイパスを降りて鬼怒川堤防の脇にクルマを止めました。

そこは東京電力新茂木線が通過しており、遠くに栃山線・栃那線との交差部分を望む場所でした。

そしてしばらく待っていると、お待ちかねの太陽が雲間から顔を出してきました。

太陽に露出を合わせたせいで、雲を背景とした鉄塔の上部が相対的に地味になってしまいましたが、陽光を受けて輝く導体が表現できて満足しています。
やはりカメラをこまめに触っていないと、ここぞというときに最適な設定と構図を決めるまで時間がかかってしまいますね。

あっという間に太陽は沈んでしまい、賞味10分間しか時間はありませんでしたが、とても良い光景を記録することができました。

東京電力沼上発電所

今回は福島県にある東京電力沼上変電所についてご紹介します。

この発電所は「日本三大疎水」の一つである安積疎水が中山峠を抜ける際の落差を利用し電気を得る、比較的規模の小さな発電所です。

しかし、この発電所は日本で初めて11 kVの送電電圧で郡山市まで送電を行っていた、日本の高圧長距離送電の嚆矢となった場所です。

明治32(1899)年に郡山絹糸紡績株式会社によって建設されました。その当時の出力は300 kWで、この電力を約20 km離れた郡山市にある紡績工場や化学工場に供給していました。現在は設備更新により2100 kWまで出力が増強されています。

沼上発電所が使用する水は、安積疎水によって猪苗代湖から取水されています。そして国道49号線と交差すると中山峠をトンネルで通り抜け、ちょうど地表へ顔を出す地点から五百川へ向けての落差を利用して発電を行っているのです。

さて、沼上発電所の外観を見ていきましょう。発電所建屋は近年改築されたようで、きれいな外観をしています。水圧鉄管の上にある水門には「東京電力」「沼上発電所」の文字が見えます。これはかなり目立つため、磐越西線に乗車していても気づくことができます。

左にある滝は、水路トンネルから出てきた安積疏水によって作られたものです。

 

 

建屋の下に近づいてみると、水が出ておりどうやら稼働中のようです。耳をすませば50Hzの唸りも聞こえてきます。

発電所のすぐ下流には堰があり、下流にある東京電力が所有している竹之内発電所の取水口となっていました。落差を余すことなく使い切るという思いが伝わってきますね。

明治の時代に11kVで送電を開始した沼上発電所ですが、今では設備更新を重ね33kVで送電を行っているようです。

猪苗代湖の水を使って郡山盆地を発展させるための安積疏水が、電力という新時代のエネルギーをも生み出して郡山の産業振興を助けたというお話しでした。

蔵王幹線小景

皆さんこんにちは。こぼしです。

お久しぶりですが、いかがお過ごしでしょうか。

先日新緑の景色を見たいと思い、日本海側へ抜けるツーリングを計画しました。

ルートは遠刈田温泉を抜けて国道113号線に合流し、そこから一気に村上へ出て、笹川流れを見てから帰ってくる計画でした。

結局南陽にでた時点で雨が降って引き返して来たのですが、その途中で蔵王幹線の素晴らしい写真を撮ることができました。

 

新緑をまとった稜線と、適度な量の雲に覆われた青空。そして、手前には田植えが終わった直後の棚田が画面に立体的な造形を与えています。その中を送電鉄塔が地形をなぞるように画面奥へとつながっていく広がりのある写真が撮れました。

ここは県道51号線が横川の集落の一段上へ登った地点です。ちょうど下の谷に横川が流れています。このクラスの送電線だと、些細な谷は一跨ぎですね。https://goo.gl/maps/ALwQiFaktpP2

275 kV東北電力蔵王幹線は、もともと本名変電所と仙台変電所を結び、只見川の水力電源と仙台の火力電源を結ぶ役割を果たす本名仙台線が前身です。東北電力で最初の超高圧送電線ということで、鉄塔の高さが低く直線的なルートが特徴的ですね。電線の位置が低いので、通過地点の木が伐採されており航空写真でも辿りやすい送電線です。

また面白い写真があったら、短い記事にしようと思います。

 

東京電力新茂木変電所

皆さんこんにちは。

今回は東京電力の新茂木変電所を紹介します。

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新茂木変電所は、SLで有名な真岡鐵道の終点である栃木県茂木市にある変電所です。一部の人には「ツインリンクもてぎ」の近くと言った方がよりイメージがしやすいと思います。

この変電所には、各方面から重要な幹線が集まっています。

この変電所のメインは500 kV東京電力福島幹線です。福島県浜通の電源地帯と首都圏を結ぶ大動脈の送電線です。福島幹線は変電所の北側から入り、南側から出て行きます。この新茂木変電所が、「福島中幹線」と「福島里幹線」の境目となっています。

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福島幹線は比較的初期の500 kV送電線で、鉄塔が等辺山形鋼でできています。そのためシルエットも今風の鉄塔よりもずんぐりしていて、愛嬌を感じさせます。その一方、引き留め鉄塔は十字の鋼材が使われているため、より力強い印象を受けます。そんなところが魅力的だと感じます。

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変電所の西側では、500 kV東京電力新茂木線が接続しています。こちらは東京電力新栃木変電所までを結ぶ短い500 kV送電線です。比較的新しいデザインの鉄塔なので、スリムな容貌をしています。

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そして北東では、日本原電東海第二発電所からの電気を送る275 kV東京電力那珂線が接続しています。

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この送電線は、電線の通過する幅を小さくするために、電線の間隔を詰めて配置しています。そのため鉄塔はすべて耐張型と懸垂型の合作のような形をしており、独特のシルエットを持っています。正面に近い方向から見ると、ボリュームがあって堂々としている印象を受けます。

変電所内を通過しつつも接続されていないのが、500 kV福島東幹線です。航空写真を見ると最も北東側から敷地内に引き込まれていますが、突如反転して東から出ていくルートを取っています。

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今後の接続が計画されているのかもしれません。現在福島東幹線の遮断器等が置かれるであろうスペースは、使用済み変圧器の集積場となっています。今後の動向が気になるところです。

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東北電力南山形幹線建設レポート4

仙台は朝晩の冷え込みが厳しくなってきました。秋も深まってきましたが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

最近はなにかと忙しくブログ更新も鉄塔追っかけもできていませんでしたが、久しぶりに南山形幹線の建設現場に行ってきました。

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はじめに訪れた西山形変電所では、南山形幹線の最終鉄塔がすでに完成していました。

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南山形幹線最終鉄塔 下は4月の同じ場所

最終鉄塔の向こうではもう1基の鉄塔が完成していて、さらに奥の鉄塔は今まさに組み立てているところでした。

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南山形幹線の電線授受施設はまだ着工しておらず、資材置き場となっていました。今後は鉄塔が完成次第、工事に移るものと考えられます。

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山形県道7号線沿いのNo.43鉄塔とその前後の鉄塔はすでに完成していて、電線の架線作業がすでに終了していました。

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No.43鉄塔と、No,44鉄塔(奥) 下は4月の写真

ちょうどNo.42鉄塔の真下に巻き上げ機があり、ここから電線を送り出していたようです。

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No.42鉄塔。10月の時点ではNo.41鉄塔が完成している。下は4月の写真

片側にしか電線がないのが、手持無沙汰な感じですね。

そこから山の区間にかけてはすでに電線が張り終わり、ジャンパ線もすでに取り付けられてる鉄塔が多くみられました。もうすでに基幹送電線の風格が漂っています。

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山間を抜ける南山形幹線。下は4月の写真。

そこから起点側に移動し、前川ダム堤体から朝日幹線との分岐方面を撮影しました。昨年の9月と比較すると、鉄塔が完成し電線も張られもう営業していてもおかしくない雰囲気となっています。

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すでに去年の11月時点で完成していたNo.3鉄塔やNo.4鉄塔もジャンパ線の設置を待つのみとなっています。

朝日幹線との分岐部分は、南山形幹線との接続が完了していました。500 kV級送電線の分岐ということで、とても迫力のある外観となっています。

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現在分岐部の朝日幹線No.267鉄塔直下では東北縦貫道の建設が行われています。開通した暁には、車窓のすぐ脇で500 kV送電線の分岐を見ることができるでしょう。

いよいよ電線が張られ、現役の送電線らしさが出てきた南山形幹線。

今しか見ることのできない光景を、これからも記録していきたいと思います。

 

東北電力蓬莱発電所

 

今回は福島県の阿武隈川本流にある、東北電力蓬莱発電所を紹介します。DSC_0033

蓬莱発電所は、昭和恐慌と凶作によって疲弊した東北地方の回復を担うため、政府の出資を受け設立された東北振興電力株式会社によって建設されました。

昭和13(1938)年に運転を開始したこの発電所は、日本発送電による管理ののち東北電力に引き継がれています。

出力38,500 kWの蓬莱発電所は、ダムで川をせき止め取水したのち、水路を使い落差を稼いでから発電する「ダム水路式」と呼ばれる方法を取っています。

発電所の設備を、上流から見ていきましょう。

蓬莱発電所の取水口は、福島市飯野町にあります。このダムは飯野堰堤とも呼ばれ、桜の名所として地元の人たちからも親しまれています。

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竣工当時の写真を、大林組のサイトから見ることができます。今とほとんど面影が変わっていません。http://www.obayashi.co.jp/works/work_H682

このダムで取水された水は、地下水路を通って、数キロ下流の調整池へ向かいます。

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奥のスクリーンが発電所に繋がる部分です。

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この調整池から取り入れられた水が、水圧鉄管を通って発電所へと流れ込みます。

発電所建屋を下流から見た写真です。おそらく建設当時から現役であろう発電所建屋と、壁に掲げられた施設名が誇らしげです。

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対岸には道がなく、水圧鉄管が望めないのが残念な点です。地図には上流側に回り込む道が書かれていますが、地元の車両しか通れないことが掲示されていました。

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発電所の周囲は深山幽谷の雰囲気が濃く、道中立派な切通もあり建設時の苦労が偲ばれる部分が多くありました。

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狭い道が続きますので、来訪の際にはどうぞお気をつけて運転してください。

 

参考

東北電力:水力発電所 http://www.tohoku-epco.co.jp/power_plant/water.html

電力と震災 東北「復興」電力物語   町田徹 ISBN 978-4-8222-4999-1

東北電力南山形幹線建設レポート3

 

前回の投稿から時間が空いてしまいましたが、皆様はいかがお過ごしでしたか。

今回は建設中である南山形幹線の昨年11月時点と今年4月の現況との比較を報告したいと思います。

起点となる西山形変電所では、11月時点で存在していた建設機械が無くなりました。現在は送電鉄塔の建設を進めていて、変電所の工事は一時中断している模様です。

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西山形変電所からほど近い山形県道17号線の近くでは、11月の時点で建設中であったNo.47鉄塔が完成していました。基礎だけの状態を知っていたので、完成した姿を見たときにしばらく会っていなかった親戚の子が大きくなっていたのを目の当たりにした気分になりました。

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その鉄塔から朝日幹線方面にかけてはすでに鉄塔が完成し、電線が張られるのを待っているような状況でした。一時期活発に活動していた資材集積地も立ち入りが禁止され、延線工事の時まで一休みといった模様でした。

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そこからしばらく移動して、朝日幹線との分岐点の様子を紹介します。

朝日幹線No.267鉄塔では、現在隣に分岐鉄塔が建設されています。この様子からNo.267鉄塔は建て替えとなる可能性が高いと考えています。4月10日時点では下段の腕金が完成していました。左に見えるのが南山形幹線No.1鉄塔です。鉄塔の付近は東北縦貫道の工事のため、立ち入ることができませんでした。

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分岐点からわずかに離れた、前川ダム堤体から見たNo.3, No.2鉄塔です。どちらも完成し、亜鉛メッキの輝きがまぶしいです。その位置から振り返ると、No.6鉄塔が建設中でした。近日中に完成した姿を見せてくれるものと思います。

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一年前から追跡している南山形幹線ですが、いよいよ完成した鉄塔が増えてきていました。いつ碍子の取り付けが始まるか、期待で胸がいっぱいです。