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東北電力大堀発電所

今回は、大堀線の起点である東北電力大堀発電所を紹介します。

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この発電所は大正8(1919)年に運転を開始した歴史ある発電所ですが、仙台市によって建設されたという異色の経歴を持ちます。

実は仙台市が発電所に関わる背景には、水道事業があったのです。

それを紐解くために、仙台市の水道事業の黎明期から追っていきましょう。明治時代に仙台ではコレラが流行しました。これは飲用水の汚染が原因と考えられたため、仙台市はイギリス人W.K.バルトン氏に水道施設の設計を依頼し、明治26(1893)年に氏は実際に測量を行ったそうです。これにより、仙台は当時として先進的な水道システムを導入し、青葉区熊ヶ根の大倉川から取水して大正12(1924)年に市内への送水を開始しました。

先進的だったのは水道だけではありません。仙台市は早い段階で電気事業が有利であることを見抜いていました。そこで上水道の水路と川にできた落差を利用して発電所を作ることを計画したのです。そして電気事業を始めるにあたり仙台電力株式会社と、三居沢発電所を建設した宮城紡績電灯会社を買収し、明治45(1912)年に仙台市営電気事業を開始しました。

大正年代に入ると電気の需要が高まり、大倉川から仙台市青葉区にある中原浄水場へ引いた水を利用して、出力1,000kWの大堀発電所が建設されました。仙台市と電気事業の思わぬ関係が、この発電所にはあるのです。

その後昭和6(1931)年から昭和9(1934)年にかけて青下ダムが建設されたので、現在は青下川からも取水していると思われます。

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広瀬川の河岸段丘をうまく利用したこの発電所の上部には、仙台市水道局の中原浄水場があります。現地を見た限りでは、管轄が異なることもあり、水道局の貯水池と発電所の水路は繋がっていないようです。

貯水池の近くから広瀬川へ向きを変えた導水路は、浅い土被りの水路を通ってヘッドタンクに到達し、水圧鉄管へつながっています。

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大堀発電所、いかがだったでしょうか?思わぬところに思わぬ関係があるのが、史料研究を合わせた発電所めぐりの楽しさです。

【蛇足】この発電所は私が仙台に来て初めて寄った発電所です。定義山に行こうとしていた私は、当時県道55号線が通行止めだったのに気付かずあえなくバリケードでUターンして浄水場へ寄り道しました。その時送電線が下に引き込まれているのに気づき、坂を降りた所この発電所を見つけたのです。今回はその時撮った写真を見返して記事を書いたので、とても懐かしい気分になりました。

東北電力白岩発電所その2

 

今回は東北電力白岩発電所の設備を上流から見ていきます。

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取水堰は国道112号線と山形自動車道の立体交差の西側にすこし行った、寒河江川の本流に設けられています。意外と低い堰堤でしたが、近寄ることが出来なかったのが残念でした。この堰でせき止められた水は取水口から勢い良く水路に導かれ、その量は意外と多いものでした。

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取水口を見た後は、導水路に沿って下っていきます。発電所の導水路は川と平行して等高線に沿って建設されるので、等高線を横切る自然の川と必然的に交差することになります。白岩発電所では国道121号線宮内交差点の脇を流れる熊野川との交差が存在しており、水路の交差に興奮する性の私にとっては外せないポイントでした。

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現地に行ってみると、何の変哲もないパイプで川を渡っていました。しかし「明治時代にボルト止めパイプなんてあるわけない!!」ということで初期の構造物の痕跡を探した所、川の中に旧橋脚の基礎を発見。そしてパイプとの接続部分だけコンクリートでそれ以外は石積みという部分も確認できました。なので、昔は鉄桁の水路で川を渡っていたのではないかと思います。本格的な鉄筋コンクリートの利用は明治44(1911)年運転開始の石岡第一発電所まで待たなくてはなりませんので、橋脚の間隔や水路の幅からして鉄桁だったのだろうと推測しました。

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熊野川と交差した導水路は国道121号線を山側にアンダーパスしていきます。実はこの道を6回ほど通ったことがあるのですが、今まで導水路に気づいていなかったのは不覚でした。まだまだ修行がたりないようです。

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山側に移った導水路は、白岩の集落に入る前にトンネルへ変わります。そしてトンネルを3つ抜けた先が、なんと寒河江市立白岩小学校の敷地の中なのです!

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導水路が真ん中を横切る小学校とは、なんとも珍しく羨ましい立地です。校舎と体育館・プールの間に導水路があるため、全校集会や水泳の授業の度に導水路を渡るのです!この学校の生徒の何人かは、後年発電所マニアとなったことでしょう。え、ならない?

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小学校の中という特殊な立地に目が行きがちですが、水路構造物も「石張り」という年季を感じさせるものとなっています。

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小学校の敷地の端には発電所の上部構造物であるヘッドタンクと余水吐きがあります。そこからすぐに水圧鉄管に入り、水車を回して発電しています。

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この配置は100年以上変化していません。水圧鉄管の脇を登る階段も角が丸くなり、流れた時の長さを物語っています。

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発電所が先か小学校が先かは定かではありませんが、この白岩発電所は私達の産まれるより前から登下校する小学生たちの喜怒哀楽を見てきたのでしょう。人と発電所の距離がとても近い、見ていて穏やかな気持になるような発電所でした。

東北電力白岩発電所

今回はお隣の県である山形県の白岩発電所を紹介します。

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明治33(1900)年に開業したこの発電所は、県都山形市に初めて電灯を灯したという功績を持ちます。そして現存する山形最古の発電所ということで、100周年記念を迎えた平成12(2000)年に記念碑と立派な説明板が設置されました。最初に所有した会社から現東北電力への流れと、建設の際の逸話や水車と発電機の出力に加えメーカーまでも記した、非常に読み応えのある説明板です。私も一つの発電所についてこの説明板のようにまとめられたらなぁと思うようなクオリティでした。

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私も負けずに解説していきます。この発電所を建設した両羽電気紡績会社は、米沢出身の製糸家である塚田正一氏によって設立されました。もともと明治28(1985)年頃は水力発電を紡績に利用しようとしたらしいのですが、明治30(1887)年に両羽絹糸紡績会社を設立した直後の明治31(1888)年に、電気供給事業を主軸とする両羽電気紡績会社に改称しました。ちなみに、結局紡績事業は行わなかった模様です。その後明治39(1906)年に山形電気株式会社と再び改称し、日発・東北配電に統合されるまで山形を代表する電気会社でした。

一方発電所は再びの会社名変更と時を同じくして、需要の増大に伴い開業時の米マコーミック社製210馬力水車・米ゼネラルエレクトリック社製150kW発電機を、独フォイト社製875馬力水車・東京芝浦製作所製500kW発電機に取り替えました。

明治からの発電所建屋は昭和22(1947)年の事故により残念ながら焼失したそうです。しかしながら他の構造物には開業当時の面影が色濃く残っていました。次回は発電所の取水部までさかのぼっていきます。

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建設当時の白岩発電所。東北地方電気事業史p.168から。