ルート移設区間のもっとも南側となる、新地と駒ヶ嶺の区間を紹介いたします。

新地駅を出た列車は、すぐに陸橋をくぐります。その後、架け直された橋を渡って、徐々に旧ルートへ近づいていきます。
地点Aで現在線と旧線が交わり、明治の開業以来のルートへ復帰します。




合流地点には、変電所間の区切りとなるき電区分所がもうけられています。こちらも、設備を大きく交換して真新しい外観となっていました。
ここから先の区間においては目立つような土木工事はありませんでしたが、地震の被害を受けたまま手入れされずに放置された既存設備を復旧させる工事は行われていました。特に地点Bにある富倉踏切では、放置された設備が生まれ変わり、再び列車が通過するまでを記録しています。






一度手入れが止まってしまった設備は、もう一度基礎から作り直さないといけないということがよくわかります。特に、直線区間では、バラストトをすべて撤去して、路盤から補強をし直していました。架線柱も地震の揺れで破損があったことから、全て更新されています。
この踏切の脇にある上下の第一閉塞信号機に灯が点っている姿を見たときには、とても感慨深い気分になりました。
地点Cでは、国道6号と交差する地点の付近で、溜池すぐ脇の築堤が変形している箇所がありました。ここも、斜面を補強することで復活しています。




また、記録はできていなかったのですが、一箇所川を渡る橋を架けかえた箇所があります。新しい区間を走る営業列車に乗った時に気づきました。
駒ヶ嶺駅の移設はありませんでしたが、震災以降2016年まで列車が走らなかったので、荒れるがままにされていました。特に、駅構内の砂利へ自由に成長した松は、電車が来なくなってからの時間を表しているかのようでした。
2016年12月に訪れてみると、再開を祝う横断幕が駅に掲げられていて、それが誇らしげでした。

今回をもって、常磐線のルート移設区間を紹介する連載記事は終了です。いよいよ全線再開となる3月14日を迎えるにあたり、自分だけが持っていた常磐線の記録に、日の目を見る機会を与えることができました。
本来ならば2017年中に公開したいと思っていたのですが、締切のない作業ほど完成しないものはなく、まとめるまで4年以上もかかってしまいました。しかし、全線開通の日を節目として皆様の目に触れていただける形にできたことを、大変喜ばしく思います。
全線開通した常磐線が、浜通り再興の礎として活躍することを願って、結びの言葉とします。